そう?友作が去ったあと、弥生はすぐにスマホを取り出した。ネットで彼の情報を探せと言うなんて......もしかして、かなり有名な人なのだろうか?そう思いながら文字を打ち込み、検索を実行した。すると、確かに情報が出てきた。記事もある。だが、いくら画面をスクロールしても、写真がまったく見つからなかった。情報はあるのに、写真が一枚もないなんて。これほど徹底した秘密主義だということは、彼の地位や立場が相当高いということだろう。それでも諦めずに探し続けると、不意に一枚の写真が目に入った。人混みの中に立つ瑛介らしき人物。距離は遠く、周囲に人々が群がっている。ただ、そのすらりとした背丈と端正な輪郭だけは、はっきりと見て取れた。弥生はその顔を凝視し、無意識に息を呑んだ。......懐かしい気がする。だが、距離がありすぎる上にサングラスをかけているせいで、記憶を呼び戻すには至らなかった。どれほど目を凝らしても、何も思い出せない。それでも彼女は悔しさを覚え、写真を保存してからさらに検索を続けた。徹底した秘匿がなされていても、大勢の中であれば盗撮されることもあるはず。さっきのように偶然一枚見つけられたのだから、根気よく探せばもっと鮮明で近い写真が見つかるかもしれない。しかし。その時、廊下から足音が近づいてきた。落ち着いた、重みのある足取りだ。弥生は数秒耳を澄ませ、すぐにスマホを枕の下に隠し、横になって布団をかぶった。ほどなくして扉が開き、香ばしい食べ物の匂いが部屋に流れ込んできた。背を向けたまま布団に横たわっていた弥生の眉間が、ぴくりと寄った。「弥生、寝たのか?」弘次の足音がベッドの脇で止まり、声が降ってきた。「......少し食べてから寝ないか?」弥生は目を閉じたまま、聞こえないふりをした。だが次の瞬間、弘次は食事を手にして彼女の正面に回り込み、身をかがめて再び呼んだ。「弥生?」答える気はなかった。相手にしたくもなかった。それでも目を閉じたまま動かずにいると、彼は諦める様子もなく、さらに問いを重ね、息づかいを近づけてきた。「......寝たふりをしているのか?」その気配を感じた瞬間、弥生は思わず身をのけぞらせ、目を開けて視線を逸らした。間一髪で距離を取っ
弥生は唇の端に嘲るような笑みを浮かべた。「......私にほかの選択肢がある?」だが弘次は、彼女の瞳に宿る皮肉など気づきもしない。ただ、彼女がここに残ると受け止め、しかも記憶を失った今なら、自分にとってはいいことだと思っていた。彼の顔に心からの笑みが広がった。「もう腹は空いてないか?食べ物は大丈夫か?」「食べたくないわ。代わりに友作を呼んでちょうだい」そう言って、弥生ははっきりと背を向けた。彼女の苛立ちが極限まで達しているのは、弘次にも十分伝わった。だが今の彼は、嬉しさに満たされていたので、たとえ彼女に罵られようと殴られようと、心地よいとすら思えるほどだった。そう思うと、弘次の唇にはまた笑みが浮かんだ。「分かった」扉が閉まり、部屋は静寂を取り戻した。彼が出て行くときの愉悦に満ちた声音を思い返し、弥生は胸が塞がれるような苦しさを覚えた。彼に会うことはできない。彼の容体を自分の目で確かめることも許されない。今は友作に頼るしかない。心の奥では、彼なら信じてもいいと思っていた。だから彼が来たら、何とか会える方法がないか、必ず聞こうと決めていた。ほどなくして、扉が叩かれた。弘次が上機嫌だったせいか、出て行ってからほんの数分で友作が呼ばれたのだ。「霧島さん」扉の外から友作の声がした。弥生はすぐに立ち上がって扉を開け、彼を中へ招き入れた。そして先ほど弘次とのやり取りを簡潔に伝えた。「......分かりました」友作の表情は険しい。「僕たちが考えることは、黒田さんも当然考えているはずです」「そうね」弥生はうなずいた。「でも、どうにかして私を彼に会わせられないかしら?」友作は唇を噛み、思案に沈んだ。だが今は弘次が瑛介をどこに置いているのかも分からない。探し出すだけでも難しいのに......彼の顔に浮かぶ困惑を見て、弥生は胸の奥でため息をついた。「もし本当に難しいならいいわ。せめて、あなたが私の代わりに見に行って、彼の無事を確かめてきて」「......黒田さんのほうは?」「もう話をつけた」話をつけた?その言葉に、友作の眉が深く寄った。「霧島さん......まさか、黒田さんの条件を受け入れたのですか?」その問いに、弥生は唇を引き上げて曖昧に笑った。友作は言葉を失いかけた。
ただ一度会うだけなら、弘次も承諾するだろうと弥生は思った。だが、すぐに「いや、彼は承諾しないかもしれない」とも思い直した。友作や自分が考えつくことを弘次が考えないはずはない。それでも彼女は賭けてみたかった。記憶を失っていようといまいと、ここに来たのは自分の意志だからだ。過去の記憶はなくとも、体に残る本能的な反応や、自分の性格ははっきりしている。自分で選んだ決断は、必ず熟慮のうえに下したもののはずだと彼女は信じていた。「弥生、言っただろう。会わせることはできない」弘次は微笑み、温和な視線を向けた。「会うこと以外なら、何でも応える。君の望みを言ってみて」その言葉に、弥生の眉は自然と寄った。「......それじゃ困るの。私の望みはひとつだけだから」弘次は逆に問い返した。「本当にそれだけでいいのか?」弥生は言葉を失った。「会うだけで満足か?彼の傷を癒やしたくはないのか?彼を元の場所に帰りたいとは思わないのか?」そう言いながら、弘次の手が弥生の手首にそっと触れ、次の瞬間には強く掴みこんでいた。「もし僕が君の要望一つだけを認めるとしたら......会うことか、それとも彼を治療させて帰すことか、どっちを選ぶ?」弥生はじっと彼を見つめ、数秒の沈黙の後に問い返した。「......これも、私たちが以前に約束したこと?」「いや、違う」弘次はあっさりと答えた。「これは約束ではなく、今この場で僕が君に与える選択肢だ」弥生は彼をしばらく見据え、それから掴まれた手をすっと引き抜いた。背を向け、口を閉ざした。その態度に弘次は動きを止め、やがて言った。「......考える時間が欲しいのか?構わない。僕たちには時間がある。急ぐことはない。答えが出たら教えてくれ」彼は急がない。だが、病床にいるあの人はどうだろう。この数日、記憶を失っている間に、きっと何の治療も受けられず放置されていたのではないか。もうすでに何日も遅れている。これ以上迷えば......「じゃあ、あとでまた来る」そう言い残し、弘次は立ち上がり、部屋を出ようとした。弥生は彼の背中を長く見つめ、扉を閉めようとしたその瞬間、思わず呼び止めた。「......待って」「会わせてくれないのなら、せめて彼の状態を見せてほしい
「......私が記憶を失う前に、助けようとしていた人はどこ?」弥生がこの件を口にするだろうとは予想していた。だが、弘次はこれほど率直に切り出されるとは思っていなかった。もっとも、それも彼女らしいと言えば彼女らしい。当初、自分を拒んだときでさえ、真剣に、はっきりと拒絶したのだから。そう思いながら、弘次は口元をわずかに歪めた。「......友作から聞いたのか?」しかし弥生は落ち着いた眼差しで返した。「君が彼に機会を与えたんじゃないの?」彼は真実を知り、罪悪感を抱いている。そんな友作を自分のそばにつけたのは、弘次自身ではないか。それはつまり彼女に知らせる機会を与えたということに他ならない。案の定、その言葉を受けた弘次はしばらく無言で彼女を見つめ、それから口元に笑みを浮かべた。「......記憶を失っても、やっぱり僕の考えは見抜かれるんだな。弥生、君は本当に僕をよく分かっている」あまりに露骨すぎて誰にでも分かるでしょう。そう心で呟いたが、言葉にはしなかった。今はそんなことに拘るつもりはない。自分が解決すべき目的のほうが先だ。「それで......今、彼に会えるの?」話題を逸らさず、彼女は執拗に問いを重ねた。弘次の黒い瞳に、不快の色がかすかに走った。記憶を失ったというのに、なおこの件にばかり心を向けるのか。「弥生......会わせるわけにはいかない」その返答に、弥生はすぐ眉をひそめた。「なぜ?会わせないつもりなら、どうしてわざわざ友作に私へ伝えさせたの?」弘次は答えず、ただ彼女を見つめていた。弥生は数秒間沈黙したのち、言い放った。「私は何をすべきなの?」「会うことは許さない。だが、治療して外へ送り出すことならできる。あと......条件付きだ」弘次はそこで一度言葉を切り、続けた。「その条件が何かは、もう分かっているはずだ」弥生は唇を引き結んだまま答えなかった。「決めた?」弘次は彼女を凝視する。「僕が彼を解放する代わりに......君は僕のそばに留まる」彼女がこうして尋ねに来た時点で、答えはおおよそ決まっていることは分かっていた。それでも彼は、彼女の口から自分のそばにいると言ってほしかった。だが弥生は、まるで心の中を読んだように、その望み通りの言葉は決して口にしなか
弥生が眠っていると聞き、弘次はようやく焦りをおさめた。使用人から電話を受けたときは、また何かあったのかと思った。以前の怪我の件がまだ尾を引いており、弥生に万一のことが起こるのではと、弘次は人一倍神経をとがらせていた。だから電話を受けるや否や、手にしていた仕事をすべて放り出して帰宅したのだった。眠っていると分かって、ようやく胸をなでおろした。弘次はその場に立ち、澪音を見て尋ねた。「どうしてこんなに早く戻った?」「スーパーに入ったとたん、霧島さんが疲れたと言って......それで少し食べ物を買って、何も見ずに帰ってきました」弥生が食べ物を買ったと聞いて、弘次の表情が一瞬変わった。「......何を買った?」澪音が食べ物の名前を告げると、さらに付け加えた。「でも、あまり食べませんでした。数口だけで、あまり興味がないようで」「その食べ物を覚えておけ。後で作らせよう」たとえ数口でも口にしたのなら、それだけで価値がある。覚えておくに越したことはない。「分かりました」まだその場に立っている彼を見て、澪音はつい聞いてしまった。「黒田様、いつ霧島さんのところに行かれるんですか?」「急ぐことはない」弘次は淡々と答えたが、その目には柔らかな色が浮かんでいた。「彼女は眠っているのだろう。目を覚ましてからでいい。君は台所に伝えて、食べ物をいつでも用意しておくように」「はい」澪音はそのまま厨房へ向かった。歩きながら心の中で思った。黒田様は、霧島さんを本当に大切にしている。霧島さんも想像していたよりはずっと接しやすい。二人がうまくいけば、自分の仕事環境もずいぶん楽になるに違いない。ただ......霧島さんは黒田様をあまり好いていないようにも見える。よく考えてみれば、黒田様がわざわざ自宅に迎え入れ、しかもあれほど優秀な彼が、女性にここまで心を傾けるのは初めてだ。そんな男性を嫌う女性などいるのだろうか?そう思い直して安心し、それ以上考えるのをやめた。部屋に戻った弥生は、実際には眠っていなかった。ベッドに横たわり、これから弘次が来たときに伝えるべき言葉を反芻していた。少しすると、ドアの外から物音がした。眠っていなかった彼女にはドアノブを回す小さな音すらもはっきり聞こえた。音を耳にした瞬間、弥
本来なら弥生はその食べ物を捨てるつもりだった。だが澪音はもったいないと思い、彼女の食べ残しを自分で食べてしまった。自分の食べ残しを食べる姿を見て、弥生は頬がほんのり熱くなり、気まずさを覚えた。でも澪音は微笑みながら慰めるように言った。「大丈夫ですよ、霧島さん。私にとって霧島さんはお姉さんみたいに親しい人だから、全然気にしません」「そう......気にしないならいいわ」弥生は、この少女の素直な気質を珍しく感じていた。友作は車の中でずっと二人の会話を聞きながら、弥生の後頭部を見つめていた。脳裏をよぎっていたのは、澪音が来る前に弥生から投げかけられたあの質問だった。「ひとつだけ聞くわ。私は自分の意志でここに来たの?」そのとき友作は自分を試されているのかもしれないと考え、ありのままを答えた。もし信じてもらえなければ仕方ないと思った。だが車に乗ってから、ようやく彼は気づいた。あの問いは、不信からではなく、信頼しているからこそ向けられたものだったのだ。そして、自分の答えは彼女の今後の行動を左右するほどに重要なものだった。そのことを思うと、友作の視線は重く沈んだ。あの質問と関係があるなら......彼女がこれから何をしようとしているのか、おおよそ見当がついてしまう。止めなければならない。だが口を開いても言葉は出てこなかった。自分自身の身も危うい立場で、何を言えるというのか。やがて車は別荘に近づき、降りる間際になって、ようやく彼は絞り出すように口を開いた。「霧島さん、本来私が言うべきことではありませんが......何をするにも、よく考えてからにしてください」その言葉に弥生の足が一瞬止まった。すぐに意味を察した彼女は振り返り、友作の目に深い罪悪感を読み取った。唇を結び、彼女は心の中で確信した。彼はもう分かっている。自分が何をしようとしているのか。でも、自分が成すべきことを変えるつもりはなかった。弥生はただ一瞥を返しただけで、視線を逸らした。屋敷に入ると、彼女はまっすぐ澪音に尋ねた。「あなたはここに長くいるんでしょう?普段、この時間、弘次はどこにいるの?」澪音は少し考えたあと、答えた。「黒田様は、以前はほとんどここに帰ってこなかったんです。最近になってやっと......」